Dean Fujiokaの凄さが分かる?異色の経歴と人気曲まとめ!
(出典: http://realsound.jp/2017/12/post-141246.html)
連続テレビ小説(連ドラ)での幅広い役柄やミュージシャンとしての活躍など、マルチな才能を発揮しているDean Fujioka(ディーンフジオカ)さん。
「おディーン様」という愛称で彼を呼ぶファンの方もいれば、逆輸入俳優として紹介されることなど、ディーンさんが今まで辿って来た道のりのことを考えると、そこから生まれているイメージには非常に興味深いものがあります。
千葉県にある高校を卒業して以来、生活の拠点をアメリカ、香港、台湾、インドネシアへと移していったディーンさん。
順風満帆だったはずの俳優業から一時活動休止して音楽に取り組んだ過去や、日本へ辿り着いた経緯など。
今回は人気俳優でありミュージシャンというディーン・フジオカさんの異色の経歴と彼の人気曲をまとめて紹介していきます。
Dean Fujiokaさんってどんな人?異色の経歴をチェック!
DEAN FUJIOKA / ディーン・フジオカ
(出典: https://www.instagram.com/p/Bj_5S20gbwz/?hl=ja&taken-by=tfjok)
本名: 藤岡竜雄(ふじおか たつお)
生年月日: 1980年8月19日
出身地: 福島県須賀川市
身長: 180cm
血液型: A型
高校: 千葉県立船橋高等学校
大学: コミュニティ・カレッジ(アメリカ・シアトル)
職業: モデル、俳優、シンガーソングライター、ミュージシャン、映画監督
所属事務所: アミューズ
『ディーン・フジオカ』というアーティスト名で活動しているため、ハーフと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、ディーンさんは日本人の両親の間に生まれ福島県で幼少期を過ごします。
(出典: https://www.instagram.com/p/oDAD73AqzK/?hl=ja&taken-by=tfjok)
その後、千葉県に移り住み、千葉県立船橋高等学校を卒業。
ここからディーンさんの行動範囲は海外に及ぶようになっていきます。
IT関連の仕事で世界を飛び回っていた父の影響を受けていたディーンさんは、IT分野の将来性に希望を抱き、アメリカで成功するという野望を胸にシアトルにあるコミュニティ・カレッジでITを専攻するのです。
この時まだディーンさんは19歳。シアトルではウェブデザインについて学んだそうですが、目標達成のために抱いた考えを実行に移すあたりはさすがの行動力ですよね。
ところで、ディーン・フジオカという名前の由来は、このシアトル留学時代にホストファミリーの方が彼を「ディーン」と呼んだのが始まりだそうです。
アメリカからアジアへ放浪へ?転機となったあの出来事。
二十歳の頃のディーン・フジオカさん
(出典: https://www.instagram.com/p/cgFuLDgqxg/?utm_source=ig_embed)
高校卒業後、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのようなIT経営者憧れを抱きシアトルへ渡米したディーン・フジオカさん。
現地のコミュニティ・カレッジに通い、卒業後は定住も考えていたそうですが、アメリカでは2001年に世界を震撼させる出来事が起こります。それが9月11日の同時多発テロ事件でした。
この出来事を境に、アメリカはセキュリティ強化を重要視するようになり、外国人へのビザの発給条件も厳格化。
ディーンさんはアメリカでの定住及び、起業を断念することとなります。
そして、次にディーン・フジオカさんの頭に浮かんだのは、シアトルの学校で出会った色々な国の留学生たちが生まれ育った場所のこと。
「別の社会体制の国にはどういう人たちがいるんだろう?。。。その人たちのリアルな世界を見たい!」。
そう考えたディーンさんは、自身にとっての新たな舞台・アジアへと足を伸ばすのでした。
放浪の末たどり着いた香港でスカウト〜日本でのブレイクまでを早送りで紹介!
(出典: http://es.drama.wikia.com/wiki/Dean_Fujioka)
アメリカでの学生時代に付き合いが深かったというアジア人の友人や、学校の教授の「これからはアジアの時代」という言葉に魅力を感じたディーン・フジオカさんは2003年から2004年頃にかけて北京、ベトナム、カンボジア、タイ、香港を3ヶ月間放浪します。
そして、最後に立ち寄った香港で思わぬ機会に恵まれることとなるのでした。
香港の中心街・ワンチャイのクラブイベントに来ていたディーンさんは、アメリカ時代に練習していたというラップを飛び入り参加で披露することになったのだそうです。
すると、その様子を見ていたファッション誌の編集者の方がディーンさんをモデルとしてスカウト。
この出来事を機に芸能界入りを果たすこととなったのです。
香港で雑誌への掲載から、ファッションショー、ミュージックビデオ、CMなど出演の幅を広げたディーンさん。
その人気はうなぎ登りとなり、2005年(25歳の時)には香港映画『八月の物語』で俳優デビュー&主演も果たします。
(先程、アーティスト名の由来の話がありましたが、名前を覚えてもらいやすいように『ディーン・フジオカ』と名乗り出したのはこの頃のようです。)
そしてこの映画で俳優としての注目を集めたディーン・フジオカさんは台湾のプロデューサーからオファーを受け、2006年に次の活躍の舞台を台湾へと移すこととなったのでした。
(出典: http://www.koretame.com/products/detail36592.html)
台湾でもその人気は留まることを知らず、出演したドラマのヒットと共に一躍人気俳優へとなったディーンさんですが、
ある時、ファンに囲まれ街中も歩けないほどの状況に疑問を抱き、「俺、こういう人生を生きたかったのかな…?」
と悩むようになったといいます。
こういった葛藤に過剰なストレスを感じてしまったというディーンさんは、一度全部の仕事を休み俳優活動から距離を置くために恋人(現在の奥さん)が住むインドネシア・ジャカルタへと向かいました。
インドネシアでの音楽活動へ
(出典: https://www.pinterest.jp)
母親がピアノの先生ということもあって、子どもの頃からずっと音楽に親しんできたというディーン・フジオカさん。
台湾の映画でギタリストの役を演じた時にも、「すごく込み上げてくるものがあった」とインタビューで語っているように、自己表現という意味において音楽活動への気持ちが強くなったことが人生を見直すきっかけになったのかもしれませんね。
インドネシアのジャカルタで始動したディーンさんの音楽活動ですが、ここでディーンさんは世界的に有名なDJ ・DJ SUMO(Sumanti)との楽曲制作に取り掛かります。
(この時の音源は後にアルバム化され『Cycle』というタイトルで日本でも発売。)
(出典: https://ent.smt.docomo.ne.jp/article/85702)
その後、俳優活動にも復帰したディーンさんは、2010年に出演した台湾映画がきっかけで日本の事務所から仕事の誘いを受けることに。
一度は断ったというこの誘いですが、「台湾に住みながらでも構わない」という芸能事務所・アミューズのオファーにより日本での活動が実現すると、2013年に公開となった映画『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』での仕事を皮切りに、連ドラへの出演で人気が爆発します。
以後、ドラマやCMなどにも多数出演し、日本でもお馴染みの顔となったディーン・フジオカさん。
今では人気俳優である傍ら、その音楽活動でも大きな注目を集めるアーティストさんとして活躍を続けていますね。
◯Dean Fujiokaさん「略歴」
1980年ー 8月19日、福島県須賀川市に生まれる
1997年ー 17歳の時、ジュノンボーイ・コンテストで約1万人の中から最終選考の6人に選出される
1999年ー 19歳の時、アメリカ・シアトルに単身留学
2001年ー 9月、アメリカで同時多発テロが起こり進路を見直すことに
2003年ー 23歳の時、3ヶ月間アジアを放浪
2004年ー 香港に立ち寄りグラブでスカウトを受ける
2005年ー 25歳の時に香港映画『八月の物語』で俳優デビュー
2006年ー 26歳の時、活動拠点を台湾へ移す
2008年ー 28歳の時、俳優活動を休止しインドネシアへ渡り音楽活動を始動
2010年ー 俳優復帰後に出演した台湾映画がきっかけで日本の事務所から誘いを受ける
2013年ー 日本での初仕事、『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』が公開
2015年ー NHKの朝ドラ『あさが来た』の五代友厚役でブレイク
2018年ー モンテ・クリスト伯 -華麗なる復讐の柴門暖役が話題に
Dean Fujiokaさんの奥さんはどんな方?
(出典: https://newsmatomedia.com/dean-fujioka)
先程、ディーン・フジオカさんの恋人(現在の奥さん)の話が出ましたので、その奥さんについて簡単に紹介しておきます。
ディーンさんの結婚相手は、台湾で知り合ったというインドネシア国籍のヴァニーナ・アマリア・ヒダヤット(Vanina Amalia Hidayat)さんという方。
2012年7月にバリ島で結婚式を挙げられています。
写真からも分かるようにとても美人な方ですね。
奥さんについてディーンさんは、
「彼女と同じ時間を過ごすことで、心がおだやかになるんです。それで気づかされました。自分が帰属できる“家”が欲しいと苦しんでいたけど、それは物理的な家や国ではないんですね。自分のハートがやすらぐ人といると、そこが”家”になるんです」
と語っており、とても大切な存在であることが分かります。
結婚から2年後の2014年10月には二卵性の双子(1男1女)を、さらに2017年3月にもうひとり男の子を授かっています。
(出典: https://newsmatomedia.com/dean-fujioka)
インドネシアで素敵な家庭を築きながら日本での仕事もたくさん抱えているディーンさん。
(順風満帆のように見えて、お子さんともう少し一緒に過ごしたいという葛藤もあるのかもしれません。。。)
「(お子さん達に)自分がしていた仕事を誇りに思ってもらいたい」という言葉からも想像できるように、ディーンさんにとって仕事をする上でお子さんが大きなモチベーションになっていることは間違いないでしょう。
常に高みを目指して活動しているディーン・フジオカさん。これからも幅広いフィールドで活躍していってほしいですね。
Dean Fujiokaの人気曲&おすすめ曲はこちら!
ここからは、ディーン・フジオカさんがインドネシアに渡って以来本格的に取り組んだという音楽活動から生まれた楽曲の内、現在に至るまでの人気曲&おすすめ曲を紹介していきます。
■「My Dimension」
ディーン・フジオカさんにとっては日本デビュー曲であり、映画『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで 』の主題歌にもなっているこの「My Dimension」。
2008年〜2013年にインドネシアで行っていた音楽活動の際に、DJ Sumoと制作した音源をパッケージ化したアルバム『Cycle』に収録されているナンバーです。
アルバムのテーマは「世界の音楽と、今まで聴いてきた自分の音楽のルーツをミックスして、英語、中国語、日本語の3つの言語で歌われるポップス」。
まさにディーンさんの音楽アーティストとしての始まりを感じさせてくれる一曲ですね。
■「Permanent Vacation」
MVでは水中撮影に挑んでいるディーンさんの姿が印象的なこの「Permanent Vacation」。
ミュージックビデオもカッコイイですが、今やディーンさんの代名詞ともなっているEDMのメロディーにも注目して聴いてほしい一曲です。
■「History Maker」
「僕たちは歴史を作るために生まれてきた」という英語の歌詞が象徴的な『ユーリ!!! on ice』(2016年放送)のOPテーマ曲、「History Maker」。
(出典: https://pc.video.dmkt-sp.jp/ti/10015996)
フィギュアスケートを題材としたアニメ『ユーリ!!! on ice』のオープニングテーマとして使われたこの曲についてディーンさんは、
厳しい競争の中でチャレンジし続けるアスリートの方々はもちろん、それぞれの立場で新しい歴史の1ページを作る挑戦をしている方々への応援歌。
とコメント。
「歴史を作る者」を意味する「History Maker」のタイトルに相応しく、壮大なスケールを感じることができる曲に仕上がっています。
■ 「Let it snow!」
ディーン・フジオカさんの代表曲の一つである「Let it snow!」。
2017年12月にリリースされたこの曲は、ディーンさん自身が出演するドラマ『今からあなたを脅迫します』の主題歌にもなっていたことからご存知の方も多いと思います。
雪に重ねられた恋人との思い出が切なく歌われているウインターソングですね。
■「Echo」
やっぱり外せないディーン・フジオカさんの人気曲といえばこの「Echo」。
人気ドラマ「モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―」の主題歌として書き下ろされたこの曲は、主人公の感情とリンクする「絶望の嘆き」が表現されたナンバーです。
(関連記事: DEAN FUJIOKA「Echo」歌詞(和訳)の意味とは?)
普段の爽やかなイメージから一変、自分を陥れた男たちに復讐する主人公(柴門暖)を演じた役柄と共に大きな話題となった一曲。
終わりに
(出典: http://www.sankei.com/west/photos/160109/wst1601090009-p1.html)
いかがだったでしょうか。
今回は「Dean Fujiokaの凄さが分かる?異色の経歴と人気曲まとめ!」と題して、ディーン・フジオカさんの過去や、人気曲を紹介してみました。
ディーンさんの略歴の部分で、高校時代にジュノンボーイ・コンテストのファイナリスト6人に選出されるという経歴を紹介していますが、実はこれは妹であり著名人として活躍中の藤岡麻美さんが勝手に応募してしまったことがコンテスト参加のきっかけだったそうです。
そして、この時にも芸能事務所から一度声がかかったという話も。。。
少し形は違いますが、十数年の時を経て再び日本の芸能界から注目されるあたり、芸能界入りは運命的だったのかもしれませんね。
海外で色々な経験を得た後、『ディーン・フジオカ』として日本にやって来てからも役者としてだけでなく音楽でも新しい試みを続けるディーン・フジオカさん。
これからもその活躍する姿を多くのファンに見せ続けてほしいですね。
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