福山雅治「零 -ZERO-」歌詞の意味や曲に込められた想いとは?
(出典:https://cinema.ne.jp/news/zero2018030201/)
俳優、シンガーソングライター、ラジオDJ、写真家、タレントなど様々なフィールドで活躍している福山雅治さん。
シンガーソングライターとしては1990年にデビュー。数多くのヒット作を世に送り出し、心に響く歌詞や歌声はリスナーの心を掴んで離しません。
そんな福山雅治さんが書き下ろし、劇場版『名探偵コナン ゼロの執行人』の主題歌として話題を集めている、「零 -ZERO-」。
⠀⠀⠀⠀⠀⠀ Ⓜステ
⠀⠀⠀⠀⠀福山雅治さん⠀⠀⠀⠀ 【零 -ZERO-】
⠀⠀真実はいつもひとつでも
⠀⠀⠀⠀⠀⠀正義はそう
⠀⠀⠀⠀⠀⠀涙の数だけ…#Mステ #安室透 #ゼロの執行人 pic.twitter.com/DlWL0GFwnV— コナンファンクラブ (@conan_fanclub) 2018年7月6日
正義とは何か?という難題を映画に寄り添う歌詞と共にリスナーに届けてくれている名曲です。
今回はそんな福山雅治さんの「零 -ZERO-」の歌詞の意味や、この曲に込められた想いについて考察してみます。
福山雅治「零 -ZERO-」歌詞の意味とは?
「零 -ZERO-」ー福山雅治
作詞:福山雅治
作曲:福山雅治真実はいつもひとつ
でも正義は
そう 涙の数だけ僕は暗闇に迷い込み
善悪の刃 握った
振り翳した刃は
すぐ自分に斬り掛かってきたんだそう僕には
「善」も「悪」も
「間違い」もある
僕を騙す僕もいるいま僕が描く正しさで
描く理想で
君を脅かすもの
悲しませるものから誰も傷付かず 誰も傷付けないまま
君を守ることなどは 出来ないとわかってる
「完全なる正しさ」などゼロなんだよ
君が暗闇に迷い込み
自分さえ信じられぬ時
怯えるその心に付け入るような
言葉や光なら世界中にいくつもある
どこにもある
君を騙す光もある君を守りたい
それでも守りたい その笑顔
そのために時として
悪になったとしても愛の名のもとに
誰かが愛の鎖で
君の心 縛っても
心にはやがて血が滲むのなら
この刃で愛を斬るよ
君を守りたい
それでも守りたい その明日
そのために時として
悪になったとしても愛の名のもとに
誰もが愛に迷っても
真実はいつもひとつ
だけど正義はいつも
ひとつじゃない
無限なんだゼロじゃないんだ
だから探すよ
零の可能性を
真実はいつもひとつ
でも正義は
そう 涙の数だけ僕は暗闇に迷い込み
善悪の刃 握った
振り翳した刃は
すぐ自分に斬り掛かってきたんだ
何事にも「真実」は一つしかないですよね。
だけど「正義」は人によって違います。
自分にとってその行いや考えが正義だったとしても、
相手にしてみればそれは正義ではなくただの悪かもしれない。
自分が振りかざした正義が相手にとって悪であった場合は、
今度は相手にとっての正義を振りかざされ、自分に返ってくることがある。
そう僕には
「善」も「悪」も
「間違い」もある
僕を騙す僕もいるいま僕が描く正しさで
描く理想で
君を脅かすもの
悲しませるものから誰も傷付かず 誰も傷付けないまま
君を守ることなどは 出来ないとわかってる
「完全なる正しさ」などゼロなんだよ
誰にだって善もあれば悪もあり、
自分が知らないうちに間違うことだってある。
君を助けたい一心で自分の正しいと思うことをやったとしても、
それによって傷つく人もいるということ。
完全なる正しさなんてこの世には絶対にない。
そして2番の歌詞では少し「正義」対する見方を変えているのが分かります。
愛の名のもとに
誰もが愛に迷っても
真実はいつもひとつ
だけど正義はいつも
ひとつじゃない
無限なんだゼロじゃないんだ
だから探すよ
正義は無限にありゼロではない。
だから自分にとっての正義を探し出すんだ。
誰にとっても正しいと思える正義なんてものはない。
逆に考えると、正義は一つではなく無限に存在する。
だからこそ、自分の大切なものを守るためには自分にとっての正義を探せばいい。
そんな風にリスナーに語りかけてくれているように感じますね。
とても素敵な曲ですね。
「零 -ZERO-」作曲のキーパーソン!今、女性を虜にしている安室透とは?
(出典: http://fukuyamamasaharu.com/sp/zero/index.html)
まず、福山雅治さんの「零 -ZERO-」の作曲の背景ですが、この曲は劇場版『名探偵コナン ゼロの執行人』の主題歌として福山さんが書き下ろしのオファーを受けたところから始まりました。
福山さん曰くこの映画では、
今の時代に人類が直面している「正義とは?」と言う難題を描いている。
ということを台本から感じ取り、そこから、「零の可能性」というテーマで曲を作っていったそうです。
そして、この曲の歌詞については以下のようにコメントされています。
僕はお芝居もやらせていただいているので、台本を読む時につい役の目線で読んでしまうんです。今回は勝手ながら、作品のキーパーソンである「安室透、降谷零、バーボン」という3つの顔を持つ男「安室透」の目線で読ませていただきました。ありえないのですが、仮に僕が安室を演じるならどういう精神で安室透を演じるのか?彼の背景や存在意義やメンタリティを自分なりに解釈してみました。安室にとって正義とは何なのか?。。。
というように、役者さんであるが故の視点が曲に反映されていることが分かります。
普段から色々な役をこなす福山さんだからこそ映画の登場人物に寄り添った歌詞が書けるというのは納得できますよね。
それでは、この劇場版『名探偵コナン ゼロの執行人』という映画及び、「零 -ZERO-」のキーパーソンとなっている『安室透(あむろ とおる)』とは一体どんな人物なのでしょうか。
トリプルフェイスの超ハイスペック男子・安室透!
抜群に頭が切れることに加え、イケメン、さらに美味しい軽食を作ってくれるし、スポーツに音楽まで何でも出来てしまう安室透(あむろ とおる)。
29歳で自称・私立探偵である彼は、3つの顔を持つことからトリプルフェイスの異名を持つ超ハイスペック美男子です。
(出典: http://www.conan-movie.jp/about/keyperson.html)
『ゼロの執行人』の特設サイトでも紹介されていますが、実はこの安室透というのは偽名であり、情報収集のために作り出された名前です。
アニメの主人公である江戸川コナンの保護者であり探偵をしている毛利小五郎(もうり こごろう)に弟子入りし、ある人物の手がかりを探している傍ら、毛利小五郎探偵事務所の下の階にある喫茶店・”喫茶ポアロ”でアルバイトをしています。
そんな安室透氏ですが、実の名前は降谷零(ふるや れい)といい、”ゼロ”と呼ばれる警察庁の公安(警察庁警備局警備企画課)に所属。
公安のエースであり、「日本を悪から守る」という使命のためには手段を選ばないという一面を持っています。
それを象徴するかのように、コナンの「前から聞きたかったんだけど、安室さんて、彼女いるの?」という問いかけに対し、「僕の恋人は、この国さ」と回答。
「零 -ZERO-」という曲からも感じとることが出来ますが、正に自分の正義のためらなば何でもするという人物として描かれていますね。
安室透、降谷零と来て、彼の最後の一つの顔はなんと国際的犯罪組織・”黒ずくめの組織”の一員といういうもの。
『バーボン』という名前が与えれ、この黒ずくめの組織でも上層部のポジションにいる彼ですが、このバーボンは降谷零のスパイの姿なのです。
4月13日に映画が公開されて以来、この私立探偵、公安警察、そして、時には黒ずくめの組織のメンバーとして自分の正義を守り通そうとする安室透(降谷零)氏の姿に夢中になる人が続出。
ファンの方の中には、彼がアニメで作るサンドウィッチをマネして料理したり、本名である”降谷”のハンコを買い占めたり、愛車を購入する人まで出ているそうです。
少し話が脱線してしまいましたが、
福山雅治さんの「零 -ZERO-」は、この降谷零演じる安室透という人物を的確に表現することで、ファンが登場人物の心情により入り込みやすくしてくれているのだと思います。
ある意味で福山雅治さんと安室透氏のコラボによって生まれた「零 -ZERO-」。
福山さんだからこそできた、この映画に寄り添った部分も忘れずに知っておきたいですね。
終わりに
(出典:https://www.barks.jp/news/?id=1000104603)
いかがだったでしょうか。
今回は福山雅治さんの「零 -ZERO-」について、歌詞の意味や曲に込められた想いを考えてみました。
「完全なる正しさなんてこの世にはなく、自分にとっての正義は誰かにとっての悪なのかもしれない」。
「零 -ZERO-」は正に、この劇場版『名探偵コナン ゼロの執行人』のために作られた曲ではありますが、
この曲から感じるメッセージには、
福山さんが語る「人類が直面している「正義とは?」と言う難題」について、普遍的で深く考えさせられる言葉がたくさん詰まっています。
『正義』という難しいテーマが聴く人の心に響く形で絶妙に表現されている「零 -ZERO-」。
『ゼロの執行人』を見る際には、この福山さんの音楽にもぜひ耳を傾けてほしいですね。
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