sumika「ファンファーレ」歌詞の意味や曲に込められた想いとは?
(出典: https://okmusic.jp/news/185185)
劇場アニメ「君の膵臓をたべたい」のオープニングテーマとして起用されているsumikaの「ファンファーレ」。
sumikaらしい底抜けに明るい軽快なサウンドが、困難に立ち向かう人の背中を押してくれる素敵な一曲に仕上がっています。
そして、やはり注目したいのが作詞作曲を担当しているボーカル・片岡健太さんの美しい言葉使い。
時に繊細に、そして時に大胆なワードを使って紡ぎ出される片岡さんの歌詞は、
どの曲も読み物として楽しめるsumikaの楽曲に欠かせない要素の一つですよね。
今回は、そんな歌詞も含めてsumikaの魅力がたくさん詰まったこの「ファンファーレ」の歌詞の意味を考察していきたいと思います。
sumika「ファンファーレ」歌詞の意味や曲に込められた想いとは?
「ファンファーレ」ー sumika
作詞: 片岡健太
作曲: 片岡健太夜を越えて
闇を抜けて
迎えにゆこう光る朝も
雨も虹も
今から全て迎えにゆくよ暗い暗い暗い部屋を作って
目を塞げば気付かない
チクチクチクチク
心は痛まない眩しい眩しい光遮る
カーテン開くのは
他ならぬ僕だ
震えた僕の手だ知らなけりゃ良い事だと
逃げるのはもうやめ
醜さも不甲斐なさも
照らして
飲み干したら
新しい自分だろう夜を越えて
闇を抜けて
迎えにゆこう
傷の海も 悩む森も
厭わない
毒を飲んでさ夜を越えて
闇を抜けて
迎えにゆこう光る朝に 目背向けずに
今 瞬きを繰り返すのさ雨降らす雲覗けば
目を打つは痛み
泥濘(ぬかる)む足元
怖気付いたら
逃げ出したら
怯んだら
俯(うつむ)いたら
至高の一瞬の
虹を逃すんだ夜を越えて
闇を抜けて
迎えにゆこう
傷の海も 悩む森も
厭わない
毒を飲んでさあ
夜を越えて
闇を抜けて
迎えにゆこう光る朝に 目背向けずに
今 瞬きを繰り返して
何度でも迎えにゆくよ
タイトルの「ファンファーレ」とは?
(出典: http://www.hmv.co.jp/newsdetail/article/1807191006/)
式典や、競馬の出走時、そして野球の応援といった様々な場面で使用されている「ファンファーレ」。
今一度、その意味を簡単に確認してみることにしましょう。
ファンファーレは通常、「トランペットなどの金管楽器を用いて演奏される華やかで短い楽曲」と認識されているようです。
式典などを盛り上げるため使用されているので耳にする機会もありますよね。
その主な使用目的といえば、何かの始まりを明確に伝える合図であったり、応援・祝福・歓迎といった場面で使われるのが一般的でしょう。
では、sumika の「ファンファーレ」にはどんな意味があるのでしょうか。
ここからはこの曲を詳しく見ていきたいと思います。
『sumika』特有の表現が素敵な「ファンファーレ」の歌詞を詳しくチェック!
(出典: https://utaten.com/specialArticle/index/1171)
「夜を越え、闇を抜け、『光る朝』・『雨』・『虹』全てを迎えにいくよ」
という言葉とともにスタートとするsumikaの「ファンファーレ」。
これは曲の続きをすでに聴いたからこそ分かることですが、
これから始まる旅には辛いことや、
痛みを伴うことがたくさん起こることを予感させている部分でもあります。
光る朝も
雨も虹も
今から全て迎えにゆくよ
そう考えると、この曲を読み解く一つの考え方として、
「僕」(曲の主人公)の周りで起こっている出来事(情景)と、
「僕」の内面(心情)が下記のようにリンクしていると考えることができるのかもしれません。
情景:『光る朝』・『光』 → 心情:スタート、旅の始まり、新しいきっかけ
情景:『雨』・『毒』→ 心情:困難、痛み
情景:『虹』→ 心情:成長、達成、栄光
◎『光る朝』、『光』→ スタート、旅の始まり、新しいきっかけ
例えば、
『光』は、「ファンファーレ」の中で新たなスタートや、
新しい価値観に気付くきっかけをくれるものとして使われていると捉えると、
暗い部屋のながで塞ぎ込んでいれば
(要するに、自分の嫌いな部分に蓋をして目を背けていれば)、
心が痛むことはない。
でも、それだといつまでたっても苦手なことを克服することはできない。
それだったら自分を変えるきっかけ(『光』)を受け入れるのも大切だよね。
ということが、
眩しい眩しい光遮る
カーテン開くのは
他ならぬ僕だ
震えた僕の手だ
の部分で歌われているという考え方です。
醜さも不甲斐なさも
照らして
飲み干したら
新しい自分だろう
すると、このカーテンを開けて『光』を照らすという行動には、
「旅の始まり」を想起させる意味と、
新しいきっかけに目を開いて「自分の弱さと向き合う」という意味をもたせていることが想像できます。
◎『雨』、『毒』→ 困難、痛み
傷の海も 悩む森も
厭わない
毒を飲んでさ
未知のものに立ち向かっていくこと、そして自分の弱い部分を受け入れることは、
辛さや痛みを伴うことが多いでしょう。
この曲では、その旅が前途多難の道のりであることを『傷の海』や『悩む森』と表現し、
「困難」や「痛み」の部分を『雨』や『毒』で表しているのではないかと思います。
でも決して悪いことばかりではなく、その困難を超えてこそ見える景色が曲の後半に登場します。
◎『虹』→ 成長、達成、栄光
雨降らす雲覗けば
目を打つは痛み
泥濘(ぬかる)む足元
怖気付いたら
逃げ出したら
怯んだら
俯(うつむ)いたら
至高の一瞬の
虹を逃すんだ
それが『至高の一瞬の虹』の部分です。
辛いことも嫌なこともある。
それでも逃げずに立ち向かう勇気を持っていれば、
いつかきっと素敵な景色(成長・達成・栄光)が待っている。
そんなメッセージが、『虹』という言葉で表現されているのだと思います。
それでは最後に「ファンファーレ」という言葉は一体どういう意味でこの曲のタイトルになっているのでしょう。
曲の最後は以下のように締めくくられています。
さあ
夜を越えて
闇を抜けて
迎えにゆこう
光る朝に 目背向けずに
今 瞬きを繰り返して
何度でも迎えにゆくよ
この曲を通して歌われている、困難に立ち向かうに勇敢さや新しい自分にオープンでいること。
そして、「何度でも迎えに行く」という不確定な事象を受け入れられる心を持てたら、
いつの日か最高の景色をその目に映すことができるというメッセージ。
そう考えるとこのタイトルの「ファンファーレ」は、
新しい自分の新たなスタートを告げる合図としての「ファンファーレ」であり、
全てをひっくるめて痛みすら歓迎するという意味での「ファンファーレ」なのかもしれませんね。
まだ見ぬ新しい景色に向かって、「今から全て迎えにゆく」。。。
そんな気持ちで1日1日を大切に過ごせたら素敵です。
終わりに
(sumikaの楽曲が起用されている『君の膵臓をたべたい』(キミスイ)の予告)
いかがだったでしょうか。
今回は、sumikaの「ファンファーレ」について、その歌詞の意味や曲に込められた想いを考察してみました。
sumikaの音楽の中ではいつも物語が展開されていて、
曲を聴き終わった時に読み物をひとつ読み終えた時のような感動が残ることが多いように思います。
心躍るメロディーの中で展開される一つとして同じものがないsiumikaの楽曲(物語)。
そして、日本語の使い方が綺麗で、言葉の良さを再確認させてくれるのも彼らの音楽の大きな特徴ですよね。
そんなsumikaの4人の魅力がたっぷり詰まったこの「ファンファーレ」。
『キミスイ』でのコラボレーションがとても待ち遠しくなる一曲です。
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