ヨルシカ「春泥棒」歌詞の意味とは?

ヨルシカ「春泥棒」歌詞の意味とは?

(引用:https://www.universal-music.co.jp/yorushika/spring-thief/)

ヨルシカがアルバム『盗作』をリリースしてから早半年が経ち、続編とされる新EP『創作』は、「音楽の盗作をする男」の物語を描いた前作のコンセプトを引きつぐ形の一枚となっている。
そんな新EPの中には、「はっ!」とさせられる歌詞を持つ楽曲がいくつもあり、非常に聴きごたえのある内容となっています。

今回はそんな「創作」の中からOFFICIAL VIDEOの映像も美しい「春泥棒」の歌詞を見てみましょう!

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ヨルシカ「春泥棒」の歌詞は二つの見方ができる?

「春泥棒」ーヨルシカ
作詞:n-buna
作曲:n-buna

高架橋を抜けたら雲の隙間に青が覗いた
最近どうも暑いからただ風が吹くのを待ってた

木陰に座る
何か頬に付く
見上げれば頭上に咲いて散る

はらり、僕らもう息も忘れて
瞬きさえ億劫
さぁ、今日さえ明日過去に変わる
ただ風を待つ
だから僕らもう声も忘れて
さよならさえ億劫
ただ花が降るだけ晴れり
今、春吹雪

次の日も待ち合わせ
花見の客も少なくなった
春の匂いはもう止む
今年も夏が来るのか

高架橋を抜けたら道の先に君が覗いた
残りはどれだけかな
どれだけ春に会えるだろう

川沿いの丘、木陰に座る
また昨日と変わらず今日も咲く花に、

僕らもう息も忘れて
瞬きさえ億劫
花散らせ今吹くこの嵐は
まさに春泥棒
風に今日ももう時が流れて
立つことさえ億劫
花の隙間に空、散れり
まだ、春吹雪

今日も会いに行く
木陰に座る
溜息を吐く
花ももう終わる
明日も会いに行く
春がもう終わる
名残るように時間が散っていく

愛を歌えば言葉足らず
踏む韻さえ億劫
花開いた今を言葉如きが語れるものか

はらり、僕らもう声も忘れて
瞬きさえ億劫
花見は僕らだけ
散るなまだ、春吹雪

あともう少しだけ
もう数えられるだけ
あと花二つだけ
もう花一つだけ
ただ葉が残るだけ、はらり
今、春仕舞い

 

終わりに

(引用:https://youtu.be/Sw1Flgub9s8)

この曲を作詞・作曲されたn-bunaさんはこう語っています。

この曲は見立ての曲なんですね。昔から日本人は、桜の花が散る様子をいろんなものに見立てて詩や句を書いてきた。今回僕は、ありがちですけれど、命を桜に見立てました。そして、それ以前に桜の曲を書こうと思った切っ掛けがあります。立川昭和記念公園の大広場、綺麗な原っぱがあるんですけど、その中心に欅が一本だけ立っていて。休日になると家族連れが訪れて、木の下で涼んだり、レジャーシートを敷いて遊んでいるようなすごく綺麗な場所で、僕はそれがすごく好きで、休日に本を読みに行ったり、ピクニックしに行ったりしていたんですね。で、ある時広場の端に座って、その大きな欅を見ながら考えたんです。もしも今季節が春で、あの欅が桜だったらどれだけ綺麗だろうと。そこから、あの欅を桜に見立てて曲を書こうと思った。だから、そもそも出発点が見立てなんです。

〜〜〜〜

ただ桜を描いた曲じゃつまらないから、だとしたらこの『創作』というアルバムの中でこれを何に見立てたらいいだろう?と考えた。そうして、盗作家の男から見た妻の寿命を桜に見立てた曲を書こうと思いました。歌詞の全体像を読んだらわかるんですけど、ただ、綺麗な桜が散るだけの曲にも読み取れるし、《あと花二つだけ もう花一つだけ》と、寿命がどんどん散っていくようにも見える。二つの見方ができるものを書きました。

〜〜〜〜

「春泥棒」は、桜としての見立てで言えば、桜の花びらを散らせる春の風のことを言っているわけだし、寿命を散らしていくという意味で、時間というふうにも読み取れる。

(引用:https://sp.universal-music.co.jp/yorushika/sousaku/)

この曲からは、桜が散る儚さと、愛する人の命の儚さを重ね合わせ、春泥棒(春の風)は残り少ない時間を奪う泥棒。その残り少ない愛する人との時間を一瞬たりとも逃したくない(瞬きさえ億劫)という気持ちとその儚さがあるからこそ美しさもある。そんな印象を受けました。

皆さんはヨルシカ「春泥棒」を聴いてどのような印象を持つでしょうか?
是非、前作のアルバム「盗作」、新EP「創作」を聴いて、ヨルシカの世界観から伝わってくるメッセージを感じてみてはいかがでしょうか。

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