DEAN FUJIOKA「Echo」歌詞(和訳)の意味とは?
(出典: https://www.m-on-music.jp/0000266756/20180418-tr-090019/)
ドラマ「モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―」の主題歌として書き下ろされたというDEAN FUJIOKA(ディーンフジオカ)さんの「Echo」。
今回は爽やかなイメージとは打って変わって、自分を陥れた男たちに復讐する主人公・柴門暖役に挑戦されていますね。
幅広い役柄でいつもマルチな才能を発揮してファンを楽しませてくれているディーンフジオカさんですが、
そんな彼が同作品に込めた想いは「絶望の嘆き」。
それが頭のなかで反響(Echo)するイメージを中心に作曲したそうです。
(ディーン・フジオカさんの経歴・人気曲・奥さんなどの情報についてはこちらをどうぞ)
ここでは、復讐劇がテーマのドラマ「モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―」、にディーンフジオカさんらしい音で寄り添った楽曲「Echo」の歌詞(和訳)と、その意味について紹介してみたいと思います。
DEAN FUJIOKA「Echo」歌詞(和訳)の意味とは?
「Echo」ー DEAN FUJIOKA
作詞: DEAN FUJIOKA
作曲: DEAN FUJIOKAWow…
Wow…I wish I could see you
beyond what I see
(見てる以上に
君のことが分かったなら)
And feel the way you touch me
(そして、君が僕に触れているのを
感じることが出来たらいいのに)
Only if I still
exist in the world
The world you live in
(僕がまだその世界に
存在してさえいたなら)
(君がいる世界に)Wow…
Tell me why why so why can I
not forgive myself
(教えてくれよ、
なんで俺は自分自身を許せないんだ)
Inside my head
I keep hearing echo
(頭のなかでは、
ずっとエコーが聞こえてくる)Tell me why why so why can I
not forget my past
(教えてくれよ、どうして俺は
自分の過去を忘れなれない)
Inside my head
I keep hearing echo
(頭のなかでは、
ずっとエコーが聞こえてくる)Tell me why why so why can I
not forgive…
(教えてくれよ、
なんで俺は許せないんだ。。。)Just tell me why why so why
can I not forget my past
(ただ教えてくれよ、どうして俺は
自分の過去を忘れなれない)Inside my head
I keep hearing echo
(頭のなかでは、
ずっとエコーが聞こえてくる)Somebody tell me why why so why
can I not forgive…
(誰か教えてくれよ、
なんで俺は許せないんだ。。。)Inside my head
I keep hearing echo
(頭のなかでは、
ずっとエコーが聞こえてくる)Tell me why why so why can I
not forget my past
(ただ教えてくれよ、どうして俺は
自分の過去を忘れなれない)Inside my head
I keep hearing echo
(頭のなかでは、
ずっとエコーが聞こえてくる)
「Echo」の作曲についてディーンフジオカさんは、
制作当時スイスに渡航していた事がきっかけで、チューリッヒやベルンなどの街並みやそこで出会った人々、博物館や美術館の収蔵品などから、特に宗教戦争にまつわるヨーロッパの歴史を身近に感じ、想像力を掻き立てられました。信仰を持つ人間が信仰を持つ故にぶつかる壁があるのだとしたら? 許しとは? 救いとは? 答えの出ない疑問が「絶望の嘆き」となって、頭の中で反響し続けるイメージをこの”Echo”という曲に込めて書き下ろしました。
とコメントしています。
日本語でもカラオケなどで声にエコーをかけるなどと使われるこの「Echo」という言葉ですが、
英語の意味では”反響”、”こだますること”を示す単語ですね。
ディーンフジオカさんのコメントにもあるように、今回の曲では、答えの出ない(ある意味正解のない)疑問に対する「絶望の嘆き」が頭の中で反響を繰り返していることについて歌われていると受け取るのが正当だと思います。
もちろん人間誰しも答えのない疑問にぶつかることもあるでしょう。
ヨーロッパで起こった宗教観での争いに閃きを得たというディーンフジオカさんももしかしたらこんな想いを抱えていることがあるのでは。と少し想像もしてしまいますが、今回はドラマのテーマに添って書き下ろされたという筋で考察していきます。
ディーン・フジオカ演じる柴門暖の心情が歌われた「Echo」。
ドラマ内でディーンフジオカさんが演じた暖の心情を英語で歌ったとされる「Echo」。
少しドラマの話の内容に歌詞を当てはめて考えてみましょう。
// あらすじ //
主人公・柴門暖(ディーンフジオカ)は、漁業会社に勤める実直な男で仕事も順調。そして、彼は愛する恋人・目黒すみれ(山本美月)との結婚を間近に幸せいっぱい日々を送っていました。ある日、二人は婚約披露パーティーを開くことになったのですが、
そんな2人を前に、祝福しつつも恨めしく見つめる男が。
彼の名は、大倉忠義演じる南条幸男。南条は俳優として活動するも芽が出ず、さらには先輩である暖の恋人・すみれのことを愛していました。暖の前では良い友人を演じる傍ら、南条は暖を落とし入れるための策を練ります。
南条は、同じく暖の出世を妬む暖の上司・神楽清(新井浩文)と、とある秘密を抱える警察官・入間公平(高橋克典)と共謀を図り、暖を無罪の罪に陥れます。
それから15年間、異国の牢獄に投獄されたのちに出所を果たした暖は、彼らへの復讐を胸に誓い、華麗な罠を仕掛けていき。。。というお話。
原作では、船長昇格が決定した主人公エドモン・ダンテスが、航海の途中で亡くなった船長の遺言を実行したことで無実の罪をなすりつけられるも、獄中で出会った神父の助けで脱獄し巨額の富を得て、自分に罪を被せた人々に復讐する様子が描かれているそうです。
この内容をもとに歌詞を見てみると、歌い出しに出てくる「you」は結婚することになっていた恋人・目黒すみれのことを指しているのでしょう。
I wish I could see you
beyond what I see
(見てる以上に君のことが分かったなら)
And feel the way you touch me
(そして、君が僕に触れているのを感じることが出来たらいいのに)
Only if I still
exist in the world
The world you live in
(僕がまだその世界に存在してさえいたなら)
(君がいる世界に)
Only if 〜 (もし〜でさえあったなら)という表現を使って別々の世界に存在することになってしまった「君」のことを思う歌詞。
おそらく、投獄されてしまった暖がすみれについて思う心情が歌われている部分ですね。
そして、サビの辺りでは一気に復讐心やその復讐について自分自身でも葛藤しているような心情を思わせる言葉が出てきます。
Tell me why why so why can I
not forgive myself
(教えてくれよ、なんで僕は自分自身を許せないんだ)
Tell me why why so why can I
not forget my past
(教えてくれよ、どうして俺は自分の過去を忘れなれない)
Inside my head I
keep hearing echo
(頭のなかでは、ずっとエコーが聞こえてくる)
自分自身を許せないこと、過去を忘れることが出来ない自分。そして頭のなかで響き続けている「絶望の嘆き」。
ドラマのプロデューサーである太田大さんは、
絶望ばかりの世の中で、希望もあるか判らない中、それでも光を捜して進むしかない主人公の心の叫びを代弁してくれている。
とコメントを寄せています。
過去に囚われ、復讐を心に誓う主人公ではあるのですが、実は本人も「混沌」を感じているという複雑な心情が歌詞に表現されているようですね。
終わりに
(出典: https://natalie.mu/music/news/275145)
いかがだったでしょうか。
今回は、ドラマ「モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―」の主題歌、ディーンフジオカさんの「Echo」について、歌詞(和訳)の意味を紹介してみました。
復讐劇を取り扱うドラマであるだけに、拷問のシーンがあったりとイメージを破り色んな役に挑んでいる姿が印象的な同作品ですが、役者としてだけでなく音楽でも新しい試みを続けるディーンフジオカさん。
これからもその活躍に注目ですね。
コメント
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個人見解ですが、
aメロ部は、投獄された暖がすみれを思う心情ではなく
柴門暖としてすみれと生きていた世界とは別の、モンテ・クリスト深海と言う人間になったから、
柴門暖は死に、別の世界の人間になったので近くにいるのに見ている以上に感じられないもどかしさ
君がいる世界に僕がまだ存在していたなら
ということかなと思います。
7話あたりで、すみれに、一人の漁師が「死にました」
柴門暖を「殺した」のは南条幸男です。と、あくまで柴門暖は死に、ここにいるのは同一人物だが別人ということを強調しているように思えたので、
別の世界=別人物 という表現かなぁと。
なるほど…その視点の心情とも思える解釈ですね
目の前に居るのに 触れられない 感じられない…
君の中に僕はまだ存在しているのだろうか…
愛情と憎しみと葛藤と…
なりたくない自分を責め続ける
誰か助けてくれ!
悲痛の叫び…